姉の自死後、約 1 年を掛けて、
実家事務所工場のゴミ捨てを完工しました。
約 25 トンものゴミを捨てて、
猛烈にエネルギーを消耗しました。
精神的に、かなり疲弊してしまい、
もう魂が抜けそうになっていました。
ここで一旦、アメリカを旅をして、
精神的なチャージを試みます。
再び旅を通して、何百人と話をし て、
今後の戦略を練ろうと思いました。
そこでフロンティアスピリットの塊のような、
⻘年達と出逢い、対話をして、
大いに感動し、息を吹き返します。
今回は、2014 年の 10 月に、
アメリカへ旅をしたときの噺をしたいと思います。
このタイミングで、
初めてアメリカへ、旅をすることになるんです。
実は世界一周の旅では、
アメリカに関して言うと、
ロサンゼルスに少し行った程度に留めて おきました。
意図的に、アメリカを残していたんです。
この国は、僕にとって、最期に観たい、
「巨大なカタマリ」のような、存在だったんです。
この国に、ドリームを求めて、
世界中から、カバン一つで、やってくる若者達。
それはビジネスの類いの者だけではなく、
芸術の分野、研究の分野、スポーツ の分野など、
様々な分野で、頂点を極めたいと、
強烈に思っている方々の、集合地帯でもあります。
このタイミングで、
その渦の中に入っている⻘年達を、
観てみたいと思ったんです。
成田空港から飛び立ち、
カリフォルニア州の、サンノゼ空港に降り立ちました。
そこで人生初めて、
Airbnb を使って、宿泊先に向かいました。
当時、日本では、まだほとんど、
浸透していなかった民泊でしたから、
少々戶惑いながらも、
無人の家に、チェックインをして、
旅がスタートします。
シリコンバレーをくまなくまわって、
イーベイ、アップル、グーグルなどをまわる。
こんな忍者みたいなことをするのは、
僕だけなのかと思いきや、
結構、その類いの観光客が、来ていました笑
そこからバスで、ロサンゼルスにまで向かい、
アムトラックという鉄道での旅がスタートします。
寝台列車に乗って、
ビュッフェでパソコンを眺めていると、
そこにはアメリカの⻘年達が集まって、
ワイワイやっていました。
僕も仲間に入れてもらい、久しぶりに、
外国人とのおしゃべりを楽しんでいました。
50 時間掛けて到着した、
ニューオーリンズは、いかにも南の街といった雰囲気でした。
歓楽街であるバーボンストリートには、
ちょっと危ない空気が漂 っていましたが笑
その危険な香りのする、空気感も含め、
この海沿いの街が大好きになりました。
そこからまた、アムトラックに乗って、
ワシントン DC、フィラデルフィア、ニュ ーヨークへと向かいます。
ワシントンでは、無料で入ることが出来る、
超巨大な博物館が、19 もあります。
全ては回れませんでしたが、
宇宙博物館を 3 時間掛けて観た時は、超感動しました。
そこは、アメリカの研究の賜物であったと。
また再びこの地に旅をして、
博物館巡りをじっくりしてみたいですね。
その後、台湾を旅していたときに出逢った、
現在はフィラデルフィアで、研究員をしている方と再会し、
彼女の通う大学の研究室にお邪魔して、そこでの雰囲気をみたり。
それからニューヨークに向かい、
日本人宿に泊まって、
そこで、同郷のニンゲン達と出逢ったり。
そこから田舎町に、飛行機で飛んで、
イーベイで何百万円も購入してくれた、
お客様の家に、お礼を言いに行ったりと。
それからロサンゼルスにある、
日本人街 リトルトウキョー行きました。
そこでのホテルで出逢った、
ストリートダンスをしながら旅をする、
日本人の女の子のエネルギーに、
ぶったまげたりしました。
彼らに触れて、気を交わして、
本当に、精神的なエネルギーが、充足してきました。
とにかく、
僕は僕なりに、アクションを起こさないと駄目だと、
強烈に思いまし た。
この時を境に、
まずは、自身の事業の法人化へ向けて、
一気に走って行くことになります。
ご一読頂き有り難う御座いました!
次回は、
アメリカから帰国後、直ぐに会社を創った噺 銀行で信用創造をしよう
です!
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